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2007.12.20

富士山最後の強力の死に思う

朝霞みの中、今日も穏やかな富士山。
厳しい冷え込みで手前の木々も雪をかぶったように霜で白く輝いています。
DSCF0064.jpg


今朝の読売新聞朝刊の「追悼抄」(最近亡くなられた著名な方の追悼記)。
その中の一人、11月19日に86歳で亡くなられた
「富士山最後の強力」小俣彦太郎さんの事が掲載され、
地元なのに恥ずかしながら始めて知りました。
子供の頃、父親と同じ強力となり、その後輸送機器の発達で登山案内人に。
登頂回数はなんと800回を数えたそうです。とても考えられない数字。
富士山を愛し続けた結晶の証なんですね。ご冥福を祈るばかりです。

実は私の妻の父も強力を経験したかは分りませんが
終戦直後から富士登山の案内人をやっていたそうです。
10年程前に88歳で他界し、詳細を聞くことは出来ませんが
当時の進駐軍を相手に相当数の富士山登頂を経験。
生存当時、登頂数を尋ねたとき「数えたことはないが百と五十は行ったずら」。
先の小俣さんには及びませんが、直ぐ身近に強力ならぬ豪傑がいたんですね。
妻のご幼少の時の話では、義父は進駐軍の登山案内のお土産に
チョコレート、ガム、ドロップ、ビスケット、バター、チーズ、缶詰のソーセージやコンビーフなど
昭和20・30年代の日本では考えられない贅沢品を当たり前のように食べていたと聞き、
東京で「ALWAYS」のような貧乏暮らしをしていた私には信じられない話でした。

今日、富士山を見るにつけ撮るにつけ
先人たちが残してくれた富士山を尊び恋しく思う気持ちが
未来への「世界遺産・富士山」に繋がってほしいものです。


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Posted at 18:50 | 富士山北麓 | COM(1) | TB(0) |
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